春陽会賞 受賞作品
散歩の記憶
1970年
1929 — 2023
Masui Ei — 公式サイト
画家であり、小説家であり、
愛された人。
九十四年の命が紡いだ
色と言葉の記録を、
ここに遺す。
Biography
増井英、若き日
増井英は1929年、大阪新世界に生まれた。画家として、また小説家として、九十四年という長い生涯をかけて表現の世界を生き続けた。
絵筆を握れば風景に命を吹き込み、言葉を紡げば人の心の奥深くに届く物語を生んだ。その二つの表現は、互いに響き合い、唯一無二の芸術世界を築いていった。
晩年は、妻であった朗子の隣にいることだけが生きがいだった。筆を持つことも少なくなっていたが、ある日、目の前の葡萄をパステルで描き上げた。それを見た朗子は、息を飲んだ。
2023年9月29日、朗子の腕の中で静かに旅立った。享年九十四歳。
Life in Photos
一歳七ヶ月の時、大阪市主催の赤ちゃんコンクールで、一等賞の表彰状を、当時の大阪市長、関一(せきはじめ)より送られた。
当時まだ現役で活躍していた太宰治が、当時の彼のヒーローだった。
中年期 —— ヨーロッパのどこかの海岸
晩年 —— 葡萄を描く
晩年 —— 自宅でのデッサン
晩年 —— 亡くなる二ヶ月前の笑顔
Works
増井英が生涯をかけて描き続けた三百点余りの作品たち。
それぞれの一枚に、彼の眼差しと魂が宿っている。










— 全作品はKindleに作品集として公開予定 —
Extra
1970年代、中近東上空を飛行中に増井英が撮影した一枚。
彼はUFOを信じていた。それも、さりげない自慢のひとつだったらしい。
——「乗っていた飛行機の窓から見えたんだよ」
1970年代 中近東上空 —— 増井英撮影
当時の新聞記事(大切に保管されていた)
Publications — Kindle
全作品、Kindle Unlimited 会員の方は無料でお読みいただけます。
昭和初期の大阪・新世界。通天閣の足元で、子供たちは喧嘩し、笑い、泣いた。第18回織田作之助賞佳作受賞作。当時の街の喧騒、庶民の息づかいがそのまま蘇る。
📖 同時収録:「ポンポン飴屋」
余命半年を告げられた画家が、一人で辿り着いた山奥の湯治場。そこで出会った謎の男、そして異界からの声——。生と死の境目で、何かが語りかける幻想譚。
📖 同時収録:「動物の記『はなれ猿ポンタ』」
飛田遊郭の女郎の子として生まれ、全身刺青だらけのまま海を渡り続けた男・勝っちゃん。誰からも怖がられ、誰よりも純情だった男の、笑いと涙の生涯。
📖 同時収録:「仙人」
木杓子の絵は、その「部分」である円形の頭と柄が結合して初めて木杓子という「全体」になる。しかしその木杓子も、粥のわん・漬物の皿などとともに食卓に並ぶとき、「朝食」という全体のなかの一部分へと転換してしまう——。部分と全体の果てしない往還。それがこの評論集の出発点だ。
洞窟壁画を描いた人々は、壁面の凸凹そのものを表現として取り込んだ。この絵はまっ平らなキャンバスや紙の上には生まれえなかった。平面である写真で見るだけでは決してわからない、現地に立って初めて肌で感じられること——。画家・増井英が半世紀かけて磨いた独自の眼が見つけた、美の核心。全漢字にふりがな付き。
📖 同時収録:「人はなぜ絵をかくのか」
※本作の原題は「人はなぜ絵をかくのか」。このタイトルを最初に付けたのは増井英です。
Publications — Paper
在庫わずか。BASEにてお求めいただけます。
画家・増井英が半世紀をかけて磨いた美術評論集。ミロのヴィーナスから旧石器の洞窟壁画まで、独創的な視点で「美」の本質に迫る。
※Kindle版は「断片の美」として出版。このタイトルを最初に付けたのは増井英です。
From Akiko
笹目朗子、妻
初めて彼のアトリエを訪れた日のことを、今でも鮮明に覚えています。モデルとして座った私に向けられた眼差しは、人を見るのではなく、その人の中にある何かを見ていました。
四十五歳という年の差など、二人の間では意味を持ちませんでした。ただ一緒に居るだけで満たされる体験を、彼と共に味わいました。
亡くなる数ヶ月前、体の痛みがひどくなり、しんどくてたまらない日が続いていた頃のことです。「あっこちゃんと別れるのが嫌だから死にたくない」と、彼は泣きました。
生きものは、生まれてきたからには死ぬものです。
だから私は彼を抱きしめながら、「今一緒におるからいいやんか」と伝えるしかありませんでした。
2023年9月29日、彼は私の腕の中で、ガクンと息を引き取りました。九十四年間、本当によく生きた人でした。
このサイトは、私が逝った後も、増井英という人間が存在したことを伝え続けるために作りました。
— 笹目朗子